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最近ちょっと色々ありまして、唐突にだらだら書いたものを置いておきますね。
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小説を書く上でのプロットについて考えてみる。
登場するキャラクター、主人公たちについては、自分はある程度物語の起伏に沿わせるようなことがイメージできるようにはなったと思う。それは主人公の成長や壁に関してのキーの配置といった意味合いのことで。
だけども、そこに事件を絡めることがまだできていない。
と言うよりも。
そもそも、まだ事件の作り方を理解していないのだと思う。
それは伏線の出し方なのか何なのか。面白い話の作り方、見せ方を理解できていない。手法においても、感覚においても、まだ。
だからこそ、事件の作り方を学ばなければならないと思うし、それを得ることができれば、物語に主人公の心情と成長に絡めて同時進行する物語、ここでいうのは事件という意味でのものが描けるようになると思う。
であるならば、その為にはどうするか。
やれることは数多いけれど、その中で自分に合ったやり方はなんであるのか。
手探りであることは楽しい反面、徒労を強く感じることもある。スキルが何ポイント上がりました、なんて分かりやすい結果が得られればいくらでも頑張れてしまう自分ではあるのだけれど。それでも、続けていれば成長も実感できる時がいつかは訪れるもので。それを心待ちにしながら今日も色々と手探りで学ぶ。
面白い話ってなんだろうと考えたりする。
たとえば、それは序盤で振り撒かれる謎たちであり、その謎たちは色々漠然と想像や妄想できると楽しい。この伏線をどう回収するのだろうかとか、単純に謎の正解を知りたいだとか。とにかく、色々な物がひきつけてくれるので、終盤の展開を期待して読み進めることができる。
そして広がった謎と主人公たちが絡み合い、心情も浮き彫りになってきたところで、終盤に向かって一気に風呂敷きをたたみ始めると、この勢いをもって読み進めたい衝動が激しくなる。やっぱり怒涛の展開というのは楽しいもので。ただ、やはりそれは今までの伏線や謎のパーツがかちりかちりとかみ合っていく楽しさであり、勢いだけあればいいというものではないのだろうなあとも思ったりする。
面白い設定とは何なのか考えてみる。
複雑で奥深くて深く考察が可能な掘り下げられた設定群は面白いのだろうか。無論、本文中で設定集のごとく長々と語り続けるのは除外するとして。
魅力的な舞台や小道具群の作り方はどうしたら良いのだろうか。
王道に独創的なアレンジやスパイスが常道なのかね。良く分からない。
ありきたりな物をひっくり返したり、引っ掻き回したり。
勇者と魔王の物語で、魔王が主役だったり、勇者も魔王も全然関係ないところで話が展開したり。
味付け的な定石は外しながらも、基本構造は定石を踏むのだろうかね。
漠然と敵は某国のスパイだ! としてもなんとかなるけれど、正直それでは興醒めも良いところだ。
整合性を取りながらも、嘘理論で押し切れば良いのだろうか。
まだちょっと、勉強が足りないらしい。
読み手それぞれが思い出を起こして共感できる場面。
この場合は、狙った読者層に共感をしてもらえる可能性が高い演出、場面を作ることを指して話そう。
十代がターゲットなのだから、中高生が理解共感できる要素が欲しくなる。多くの時間をしめるのは学校での時間であったり、友人たちと遊ぶ時間だったりするのだろう。どこか閉鎖された空間であるわけで。管理されているような気がしてしまったり。色々と理解や納得できないルールが多い時期なのかもしれなく。
そんな衝動、気持ちを連想して共感しやすいストーリーや場面ならば、読みやすい――印象に残りやすい、興味深い、それは面白いと繋がるのではないのだろうか。
難しいことを想像しなくてもいいのは、考えない分だけ楽に楽しめる。
それはより高みにある楽しさを得ることはできないのだけれど、単純にさくっと楽しむには十分だったりする。だから、小難しい話は敬遠されるし、腰を据えて「さあ、読むか」なんて気合を入れて読書をするのは少数派だ……と思う。楽しいのが分かっているから、ちょっと読むのが疲れる本でも読みたくなるのだけれど、そんな大変な楽しさよりは、考えずにさくっと楽しめる読み物の方が良いという人も多いのだろう。何だか小説と漫画の関係に似ているのかもしれない。
行間を読むということがあるけれど。
そういうものを含めて、想像しながら読むとなるのだろうけど、これが複雑な物語になると楽しい反面、大変だったりする。取り合えず深く考えずに、文面だけを読み進める――なんてことも結構ある。
表面を追うだけでも楽しめるけど、考察しながら読んでも楽しめる話というものは良いものだよねというお話。